強さとしてのヒール

Twitterのスペース機能で話をしていると、

自分では気づかない発見をすることがある。

 

 

例えばラジオを聴いている話をすると、

「(当該番組の)パーソナリティと性格的に共通している所がある気がする」

という意見を受けたことがある。

 

 

そして即日で同氏の著書を注文し、

今も読み進めている。

 

 

時には参加者と様々な物事について熱く議論を交わすこともある。

自分には見えてこない見え方が発見出来て、

ひたすらに面白く意義のある時間だ。

 

 

そんなスペースにおいて、

確かにそうだなと深く納得した事があった。

 

 

それは自分に対する評価の、

「悪くなりたいけど根が真人間(要約)」

というものだ。

ちょっとふふっとなったし、

なんだか面白くて嬉しい表現だ。

 

 

そして本当にそうだと思う。

厳密に言えば、真人間に見せようとしている根曲がり野郎なのだが…

こうやって書いていることこそが、

その評価を裏付けるのかもしれない。

 

 

意図的に悪者、というより逆張りの立場を演じることがある。

いい時や悪い時を問わずに、

乗っからないで冷静な「フリ」をする。

 

 

本当に冷めた人間に見えると思う。

実際問題祭りには乗っかりたい。

でも、確証の無いことはしたくない。

 

 

そんな気持ちが高じるとつい、

一歩前に出られずに黙り込んでしまうのだ。

その姿勢こそが評価の全てだろう。

 

 

そういえば、「繊細」という評価もあった。

これも本当に正しいと思う。

 

 

たかだか140字制限の文章も本当に悩むし、

表現が悪すぎてツイートを削除する事も日常茶飯事だ。

 

 

少しでもワードを間違えれば誰かを攻撃してしまう気がしてならない。

フォロワーだけではない。

世界中に発信してる以上、どこかの見知らぬ誰かを傷つけるかもしれない。

悩みとは尽きないものだ。

 

 

そんな弱さを隠したくて、

悪い「フリ」をしている。

もういい歳の男だから、

強くありたいと思っている。

 

 

しかし思うだけではそうあることは出来ない。

行動に移そうにも人生経験が浅く、

その方法を知らない。

 

 

だから、ちょっと面倒で冷たい男を演じている。

そうすれば年齢相応の男らしく見えるかもしれないから…

意識はしてなかったが潜在的にはそんな所だろう。

 

 

しかしまあ、それはそれでいいもんで。

それによって成り立ってきた関係性もあるし、

自分の強さと弱さをもっと見極めながら、

特性の取捨選択をして行きたい。

 

 

そしてこれからもどんどん自分への気づきを出来ればと。

調子いい時はどんどんスペースしよーっと。