よふかしのうた
今年もまたひとつ歳を重ねる事が出来た。
そして気がついたら三十路も近づいてきている頃だ。
そんな折にふと人生を振り返ると、
どう頑張っても取り戻せない時間や経験があることに気が付く。
だが、今でも明確に昔の気持ちを取り戻せる瞬間がある。
ラジオの周波数を合わせる時だ。
今の時代はradikoを入れれば、
タップひとつで日本全国どこのラジオも好きな時間に聴くことが出来る。
本当に便利になったものだ。
特に深夜ラジオが明るい時間に聴けるようになったのは、
夜に弱い人間としてはありがたい限りで。
だが、便利さと引き換えに昔感じていたワクワクは減少してるような気がする。
簡単にクリアな音声を聞ける、これ程に便利なことはない。
しかし狭い部屋の中で一番クリアな音で聞ける場所を求めて、
気持ちミリ単位でダイヤルを回すあの手間。
あれが楽しいのだと便利な世の中で感じる。
ちょっとそんなアナログなラジオの楽しさと、
そう思わせてくれた部分を振り返りつつ、
今の生活につながる部分もお話ししようかと。
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ラジオにまつわる原体験は小学生のころに始まる。
テレビも何もない部屋で暮らしていたうえはすかっぷに与えられた、
たった一つの娯楽がラジオ付きのCDプレイヤーだった。
狭くて何もない退屈な部屋で、夜更かししながら聴くラジオ。
それはテレビとはまた違う世界をそこに広げてくれた。
しかし電波を受信して聴くという性質上、
必ずしも綺麗な音で聴ける訳ではない。
でも、少しでも綺麗に聴きたくて、一生懸命ダイヤルを回した。
だから、自分にとってラジオは番組の内容に加え、
このダイヤルを回す作業がワンセットだ。
その作業を経て得る娯楽は何事にも代えがたいものだった。
険しい道の先にある華やかな世界はより輝いて見えるのだ。
顔も見えないしどんな場所で話しているのかもわからない。
けれども、そんな情報がある時よりもその喋り手のリアルが如実に伝わり、
凄く耳に、そして心に残るように感じた。
今人気のラジオ番組でもそんなことを言っているが、
まさにそうだなあと振り返ると改めて思うものである。
話し手の感情が手に取るように伝わるのがラジオというものなのだ。
そしてそのリアルな感情の渦巻く世界の中で活躍する「ハガキ職人」を、
かっこいい存在だと思うようになってきた。
自分たちと同じ一般人なのに出演者の一員として番組に参加している。
そして番組の一部分となり、楽しい番組を作っている。
いつかは自分もこうやってハガキやメールを読まれてみたいと思うようになった。
でも、なんだか照れ臭いというのが勝ってしまい、
何年経ってもどの番組にもメールを送ることはしなかった。
自分の名前が、そして考えていることが、電波を通して広がっていく。
仮に読まれるとしてもその事実を現実としてとらえられる気がしなかった。
とはいえそこは参加するかしないかだけの問題だけで、
年齢を重ねてもなおすぐそばにはラジオがあった。
部活でヘトヘトになった夜に、ラジオを聴きながら寝るのが好きだった。
オープニングから少しだけ聴いて寝落ちし、
エンディングテーマが聞こえて一旦目が覚めるのが日常だ。
曜日にもよりけりだが、オールナイトニッポンやJUNKには本当にお世話になった。
疲れて眠る夜だけではなく、部活の休前日で何時まで起きてもいい時。
朝の4時や5時まで起きていてひたすらラジオを聴くのが楽しかった。
余談ではあるがちょうどその時代が、
『オードリーのオールナイトニッポン』が始まったぐらいの時期で、
しばらく経って戻ってきたとき、予想だにしない形で人気を得ており、
驚いた記憶が強く残っている。
当時はTwitterで実況するなんて文化も盛んではなかったし、
本当に全力で耳を傾けてラジオを聴いていた。
平日に学校が休みになった日もここぞとばかりに普段聴けないラジオを聴いた。
学校での「好きな職業について調べる」という課題もラジオパーソナリティについて調べた。
それぐらい、自分自身にとって必要なものだったのだ。
しかし日に日に生活のリズムは変わっていき、機械の前にいる時間を取れなくなってきた。
ラジオ番組を耳にする機会も減っていったが、
その最中でradikoが登場したのは革新的というしかない出来事であった。
スマートフォンやパソコンがあればどこでもラジオを聴ける。
場所なんか関係ない、果てには月額制で全国どこでも、
好きな場所のラジオを聴けるという。衝撃的だ。
それからはいろいろな土地の番組を巡った。
どちらかと言えば別の趣味の補完に、ではあるが。
しばらくすると今度はタイムフリーなる機能も出始めた。
いよいよラジオの在り方は自由自在だ。
1週間以内という制約もあるが、本当の意味で好きに聴くことができるようになった。
好きな時に好きな場所で。
テレビと違い録音の難しいラジオの課題が解決された瞬間ではないだろうか。
と、同時にラジオ本来の楽しみが薄れて行った瞬間でもあった。
あまりにも便利すぎたのだ。
いつしか周波数を合わせる作業に手をかけることもなく、
気が付けばまたラジオを聴く機会は少なくなっていた。
…で、時は巡り令和4年、2022年。
あのころとは元号も変わり生き方も変わった今、また原点に戻ったのだ。
ただ原点に戻っただけではない、
メールを投稿しよう!という意欲を手にこの世界へ戻ってきた。
何故か。そのきっかけはただ一つ。
推しがラジオのメインパーソナリティに就任したからだ。
その推しとは井上梨名、そしてその番組が「こち星」である。
本当に応援している存在だから何かをしてあげたいと常々思っているが、
毎週ラジオを聴いて拙い文章でもメールを送ることが、
番組の、そして推しの力になるのではないかと思った。
十数年踏み出せなかった一歩を踏み出した瞬間だった。
そして、メールを読まれることでどういう感情になるか。
長年の疑問を解決することもできたのだ。
それを踏まえて、ひとつ。
やっぱりラジオは楽しい!
改めて今心からそう思えている。
推しがしゃべっている、その事実だけで楽しいのはもちろんだ。
でもやっぱり、今も昔もラジオは変わらず話し手のリアルが伝わる場所だ。
推しの言葉の一つ一つがこれまでよりもじっくりと伝わってくる。
そして上手くいけば自分の言葉に応えてくれる。
聴くだけのようで実は双方向性のコミュニケーションなんだと、
やっと気づくことができた。
そう考えれば昔よりももっとラジオというものを楽しめているような気がする。
だからこそ、一度原点に戻りたいと思った。
そこでしばらく離れていたアナログなラジオだ。
アンテナを伸ばし、ダイヤルを回し、なじみの周波数にチューニングする。
やっぱりこれがいいなと実感させられた。
相変わらず音は雑音交じりで綺麗とは言い切れない。
だけども、やっぱりそこにアナログの味がある。
いつになってもいいものは変わらずいいままだ。
だから次は、その音で自分の名前が、考えが発信されるのを耳にしたい。
現状そのチャンスはすべて忘れてしまってフイにしているのだが…
次は遅れネットの存在を忘れずにいようと思う。